大判 Oban ( a large-sized old Japanese gold coin)

大判とは?
「小判の大きいサイズ」という認識を持たれがちですが、形状と名前は似ているものの全く別物となります。
大判は、豊富秀吉により家臣への恩賞用、朝廷・公家などへの贈答用に鋳造された特別の貨幣であり、小判は通貨としての使用目的で鋳造されました。
そして、大判には価値を大きく左右する「墨書き」という大きな外観的特徴があります。この墨書きの状態により価値は大きく変動します。なお、小判では例外2種を除き墨書きの代わりに極印というものがあります。
この墨書きの状態が1、「墨書き自体がどれほど綺麗に残っているか」2、「墨書きに加筆修正がされているか」この2つが大きなポイントです。
そんな大判ですが、種類・状態によって大きく変動しますが、どれも古銭クラスのトップクラスの価値を誇ります。
ここでは、各時代の大判の価値や概要について紹介します。

万延大判金

Man-en Oban Kin
万延大判金
万延大判は、万延元年(1860)に発行された大判で、日本で最後の大判となりました。万延大判は、日米和親条約で自由化された交易により、小判が大量に海外流出したことを受けて、これまでの金の含有量を下げてつくれらました。上記のとおり、大判は恩賞・贈答用に造られてきましたが、この万延大判は最初から通貨としての目的で作られたのです。万延大判は2年しか鋳造されなかったため、製造枚数は17097枚に留まります。さらに明治維新とともに鋳潰されてしまったので、あらゆる古銭の中でも希少価値はかなり高い方です。
明治新政府は、1874年(明治7年)「旧金銀貨幣価格表」を発表し、江戸時代に使われていた古銭や大判・小判を回収し、新しい貨幣の材料にしていきました。そのため、現在残っている大判類は、明治維新の際に政府へ提出されなかった大判の生き残り、ということになります。

万延大判の表面は、たがね打のものと、のし目のものの2種類が見られ、のし目の方が現存量が多いです。※たがね打…大判表面の刻みが平行に並んだもの、のし目打…刻みが互い違いに打たれたもの




万延大判金商品一覧(画像をクリックすると大きく表示されます)
①万延大判金 のし目打 鑑定書付 
極美品 3,300,000円
①万延大判金 のし目打 鑑定書付 
極美品 裏面
②万延大判金 のし目打 鑑定書付
美/極 2,800,000円
②万延大判金 のし目打 鑑定書付
美/極 裏面
①万延大判金 のし目打 鑑定書付 
極美品 裏面

小判 Koban(an oval gold coin)

小判とは?
小判とは別名「小判金」とも呼ばれ、江戸時代に流通した金貨の一種です。小判は金を主な素材として鋳造されていたことから現存数が少なく、稀少性が非常に高く、古銭の中でも高い価値になっています。「小判」には、鋳造された時期によって、見た目は似ていても10種類に分類することができ、種類によって価値が変わります。
下に小判の図解を載せます。

小判の図解

・右に示す金座人印・吹所棟梁印には、上下の組み合わせがあり、中でも「大吉」「小吉」の組み合わせは縁起物として非常に重宝されました。(写真は大吉)この「大吉」「小吉」などは、当時民間ではやった七福神信仰とむすびつき、七福小判と呼ばれます。
大吉…大黒天、小吉…恵比寿、馬神…弁財天、久吉…福禄寿、堺長…毘沙門天、久長…布袋和尚、守神…寿老人

・年代印はその他、「元」(元禄小判)・「乾」(宝永小判)・「佐」(佐渡小判)・「文(真文)」(元文小判)・「文(草文)」(文政小判)・「保」(天保小判)・「正」(安政小判)があります。

天保五両判金

Tempo Goryoban Kin
天保五両判金
江戸時代に多く流通していた大判・小判ですが、その中で唯一の五両としての額面をもつ小判です。
市中でも大いに使用されるものと期待されましたが、町ではほとんど流通せず、発行数も少なく抑えられました。(天保8~14年発行)
そのため、現存する天保五両判金は稀少であり、状態のいいものが多いです。
金品位も慶長金と同じ84.22%と高く、製作技術の発達もあり見た目が美しい小判であるため、収集家からの人気が高い小判となります。
天保五両判金商品一覧(画像をクリックすると大きく表示されます)
①天保五両判金
背坂長 鑑定書付
美/極 1,480,000円
①天保五両判金
背坂長 鑑定書付
美/極 裏面
②天保五両判金
鑑定書付
極美品 1,450,000円
②天保五両判金
鑑定書付
極美品 裏面
①天保五両判金
背坂長 鑑定書付
美/極 裏面

慶長小判金

Keicho Koban Kin
慶長小判金
江戸時代が始まった1601年(慶長6年)から約94年に渡って鋳造され続けた小判です。
江戸時代の始まりととも造られ、徳川家康の権力を全国に知らしめる役割も果たしたといえます。
慶長小判金は、慶長初期のものを前期、慶長後期から明暦の大火(1657)までを中期、明暦以降が後期と考えられ、前期・中期は細目、後期は粗目と推定し、細目:粗目の比率は、ほぼ7:3と後期の粗目の方が現存数は少なくなっています。
江戸時代はその後さまざまな小判が製造されるようになりますが、慶長小判のような大型で金品位の高い小判はあまり登場しなかったので、小判の中でも非常に価値が高くなります。


慶長小判金商品一覧(画像をクリックすると大きく表示されます)
慶長小判金
花押のみ逆打 鑑定書付
美品 3,200,000円
慶長小判金
花押のみ逆打 鑑定書付
美品 裏面
慶長小判金
花押のみ逆打 鑑定書付
美品 裏面

享保小判金

Kyoho Koban Kin
享保小判金
享保小判の発行期間は、正確にはわかってはいないのですが正徳4年(1714)~約2年間とされます。
一つ前の正徳小判の質の低下が問題視され、小判に含まれる金の量を増やそうとする動きで造られ始めたのが享保小判金です。
享保小判の中でも、佐渡の金座で鋳造されたものは佐渡小判あるいは佐字小判と呼ばれ、裏面に「佐」の字が刻印されています。1枚約18グラム、金86%の品質のいい小判で、小判の中で最も価値の高いものとされています。

享保小判金商品一覧(画像をクリックすると大きく表示されます)
佐渡小判金
背筋神 鑑定書付
美品 4,500,000円
享保小判金
背新五
裏面
享保小判金
背新五
裏面

文政小判金

Bunsei Koban Kin
文政小判金
文化・文政時代(1804-30)は、将軍家の散財、国防費の増加、飢饉による減収などで江戸幕府の財政は悪化しました。そのため、二分金を発行するなどの改鋳を行い、小判金の品位を落としました。文政小判は、江戸時代の小判の中で、金の量が一番少ない小判です。
ただし、献上判とよばれる、製造場の金座が年賀の祝儀として江戸幕府に献上するために特別に鋳造されたものは価値が高くなります。献上判は丁寧に作られているためゴザ目がきめ細やかでとても美しい小判となっています。
また、文政小判の中でも「小吉」小判は稀少のためこちらも非常に価値が高くなります。
文政小判金の年代印は草書体の「文」とあり、草文小判(そうぶんこばん)とも呼ばれます。


文政小判金商品一覧(画像をクリックすると大きく表示されます)
文政小判金
背馬神 七福小判 鑑定書付
280,000円
文政小判金
背馬神 七福 鑑定書付
裏面
文政小判金
背馬神 七福 鑑定書付
裏面

安政小判金

Ansei Koban Kin
安政小判金
安政小判が造られた直接的な原因となったのは「黒船」が日本にやってきたことでした。
安政元年(1854年)幕府は欧米諸国の圧力に屈し和親条約を結び、以来日本の金貨は大量に海外へ流出しはじめます。研究によると、わずか一か月半で10万両が消えてしまったそうです。そこで幕府は、安政小判という、天保小判と同じくらいの含有率を保ちながら、天保小判よりも小さい形の安政小判を造ったのです。
しかし、その攻防も結局欧米の強い反対にあい、わずか20日間という短い使用期間で幕を閉じ、よって安政小判・分金は非常に数が少なく、稀少性が高いです。
安政小判金商品一覧(画像をクリックすると大きく表示されます)
背大七 鑑定書付
美品 680,000円
背大七 鑑定書付
美品 裏面
背大七 鑑定書付
美品 裏面