万延大判は、万延元年(1860)に発行された大判で、日本で最後の大判となりました。万延大判は、日米和親条約で自由化された交易により、小判が大量に海外流出したことを受けて、これまでの金の含有量を下げてつくれらました。上記のとおり、大判は恩賞・贈答用に造られてきましたが、この万延大判は最初から通貨としての目的で作られたのです。万延大判は2年しか鋳造されなかったため、製造枚数は17097枚に留まります。さらに明治維新とともに鋳潰されてしまったので、あらゆる古銭の中でも希少価値はかなり高い方です。
明治新政府は、1874年(明治7年)「旧金銀貨幣価格表」を発表し、江戸時代に使われていた古銭や大判・小判を回収し、新しい貨幣の材料にしていきました。そのため、現在残っている大判類は、明治維新の際に政府へ提出されなかった大判の生き残り、ということになります。
万延大判の表面は、たがね打のものと、のし目のものの2種類が見られ、のし目の方が現存量が多いです。※たがね打…大判表面の刻みが平行に並んだもので横のふくらみにやや乏しく細長にみえる のし目打…刻みが互い違いに打たれたもの(写真の商品はのし目打)
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