③ふたたび物々交換の時代へ
政府は新貨幣に切り替える際、貨幣の価値を「旧貨幣:新貨幣」で「10:1」という極端なデノミネーションにする政策をとりました。そうすると「旧貨幣の価値 < 地金の価値 < 新貨幣の価値」となってしまい、交換せず鋳つぶしてしまう人が多発しました。このようにして貨幣の回収ができなくなったことと、また、銅の産出量が低下したことにより、貨幣がどんどん小型化していきました。
ちなみに、後期の貨幣に使われている銅には、鉛などの不純物が多く含まれているので、きれいに保存されている物が少なく、綺麗な状態のものほど古銭としての価値は高くなります。
▲5番目の「富壽通宝」
▲8番目の「饒益通宝」
新しい貨幣は小さくて質の悪い物になったわけですから、当然ながら貨幣の信頼は失墜し、庶民の銭離れが起きました。 そして、とうとう、政府も12回目で新貨幣を作ることを断念……しばらくの間、日本は物々交換の世界に逆戻りしてしまいます。
その後、経済の発展とともに渡来銭という中国のお金が流通するようになりましたが、公式に政府が貨幣を発行するのは、江戸時代の寛永通宝(1636年)まで待たなくてはなりませんでした。
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