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小判の価値と歴史的特徴について~全11種ご紹介~

江戸期に作られた小判には、およそ11種の小判が存在しますが、その種類によって小判の価値、買取金額も変わってきます。今日はその11種について説明していきます。


小判の当時の価値につい

小判は13万円の価値がありました

小判の表には、「一両」と「光次」という文字が彫られます。この「一両」は額面、「光次」は小判を鋳造した人物を示す刻印です。小判は、後藤家のみ鋳造が許されました。その後藤家当主が、後藤庄三郎光次という名であったため、「光次」と刻印されます。尚この後藤家ですが世襲制のため、江戸末期の小判でも「光次」と刻印されています。

さて、この一両ですが、当時どれくらいの価値があったのでしょうか?

正確な換算は難しいですが、一応の試算として、米価は1両=約4万円、大工の手間賃は1両=30から40万円、お蕎麦の代金では一両=12~13万円になります。(日本銀行金融研究所貨幣博物館資料)ただし江戸の250年の間でも物価は大きく異なりますので、一律で値段は出せないと思われます。


現在における小判の価値について

では、現在はどれほどの価値があるのでしょうか?金として、史料として、収集品としてさまざまな価値を持ち合わせます。


金としての価値ですが、これは小判がつくられた時代背景により、金品位や小判の重さ(大きさ)は大きく変わります。経済がよければ、金品位の高い良質な小判が作られますが、経済が悪ければ金の含有率は下がります。

慶長小判の金として価値

例で、最初に作られた慶長小判金をご紹介します。慶長小判は、17.76gの重さ、金品位約85%となります。金1gを13,000円の価値で計算すると、20万円弱、金の価値を有しています。現在の金価格の高騰を背景に小判を持たれる方も増えています。

ですが、やはり小判を持たれる方の多くは、金としての価値ではなく、江戸の歴史や文化、美しさや希少性に惹かれて持たれる方がほとんどです。例えばこの慶長小判の茣蓙目(表面の線状の模様)も、職人の手によって生まれた芸術品です。国内もとより海外でも人気の高いコレクションの一つとなっています。


それでは、小判の種類(時代)と価値について時代順にみていきます。

①慶長小判

慶長小判の種類

江戸期最初(1601~1695)に作られた小判金となります。100年近くと長い期間作られたこともあり、大きく初期・前期・後期にわかれます。前期(初期)の茣蓙目は細かいのが特徴的です(細目)。後期になるとこの茣蓙目は荒くなります(荒目)。

後期に比べると、前期のほうが希少性が高くなり、買取金額も上がります。さらに、最初期の「古鋳」と呼ばれる慶長小判になると滅多に出てこないため、買取額は通常の倍近くになります。


②元禄小判金

元禄小判(長元・短元)

慶長小判の後(1695~1710)に作られた小判ですが、金の含有率を85%から56%まで下げてつくられました。時代としては、徳川綱吉の時代です。このころ経済はひっ迫していた為品位の低い小判となりました。しかし、希少性は高い小判となります。

裏面に時代を表す「元」字の刻印がありますが、この最終画の払いが長いか短いかによって、「長元」「短元」に分類されます。「短元」のほうが希少性が高くなります。


③宝永小判

宝永小判

元禄小判の後(1710~1714)の5年のみの鋳造となるため、現存少なく希少な小判の一つとなります。金品位は、83.4%と高くなりましたが、小判自体が9.34gと小さくなりました。ちなみに慶長小判の重さは17.73gありましたので、半分くらいになっています。これは新井白石の財政策となります。軽く、薄い小判のためヒビが入りやすいです。綺麗な状態で残っていると希少価値が高くなります。


④正徳小判金

正徳小判

最も希少な小判といえるのが、こちらの正徳小判です。1714年のうちの数か月しか作られなませんでした。江戸幕府は、慶長小判ののち、金の含有量を下げた小判金を作ってきましたが、これが物価上昇をもたらしました。そこで、新井白石は1714年、慶長小判と同品位である品位85%のこの正徳小判金をつくりました。


⑤享保小判金

享保小判

正徳小判の評判がよくなかった為、さらに金品位をあげてつくったのがこの享保小判金となります。(1714~1736)金品位は86.1%と江戸期を通じて最も高品位となります。8代将軍徳川吉宗は、家康の作った慶長小判に劣らない高品位を目指して、この小判を作ったといわれます。この享保小判ですが、一つ前の正徳小判によく似ています。見分け方として、表面「光次」がくっついているか、離れているかで区別されます。


⑥佐渡小判

佐渡小判

享保小判金の中で、佐渡金山でつくられたものを、佐渡小判と呼びます。特徴として、裏刻印に「佐」字が打たれています。佐渡小判の、左下の座人印は筋神、利神、高神、又神のいずれかになります。小判の中で、最も入手困難なものとなり、買取額も数百万円になります。


⑦元文小判金

元文小判

享保小判の後(1736~1818)につくられたのがこの元文小判です。徳川吉宗の貨幣改革により享保小判は作られましたが、これにより米価が下落。幕府財政だけでなく、武家や農民の生活までもが困窮を極めます。そこで大岡忠相は小判の重さを13g(享保小判の重さは17.78g)に、金品位を65%にさげたこの元文小判金を作りました。どん底にあった経済を救い、 82年間も流通したことで有名な一枚です。長い間使用されていましたので、希少性は高くはありません。特徴として時代を表す「文」字が真書体(楷書)で打たれます。


⑧文政小判

文政小判

元文小判の後(1819~1828)、さらに品位を55.9%に下げて作られたのが、この文政小判金となります。時代を表す「文」字が草書体で打たれます。こちらも比較的手に入りやすい小判となりますが、裏刻印左下が「大吉」、特に「小吉」であれば大変希少な小判となります。


⑨天保小判金

天保小判

文政小判の後(1837~1858)に作られたのがこの天保小判金です。天保の改革において水野忠邦が、品位を維持したまま量目を13.07gから11.2gに下げて製造しました。このころになると、ローラーを用いて小判が製造されたため整然とした美しい小判となっています。元文・文政小判同様、比較的手に入りやすい小判となりますが、裏刻印左下が「大吉」、特に「小吉」であれば大変希少な小判となります。ちなみに「小吉」は現存数枚とされ、弊社でも取り扱いはございますので、気になる方はお問い合わせいただければと思います。


⑩安政小判

安政小判

つづいての安政小判ですが、こちらは鋳造期間が1859年のみとなります。このころ開国により、諸外国との貿易が始まったわけですが、日本は長年にわたり鎖国政策をとっていたため金銀交換比率に大きな差が生じていました。日本1:5に対し、海外は1:15という比率でした。そのため、大量の小判が海外へ流出しまし、結果安政小判は現存少ない希少な小判となっています。


⑪万延小判

万延小判

この万延小判金が江戸期最後(1860~1867)に作られた小判金となりますが、量目3.30gと非常に小さな小判金となります。金量を国際基準に近付け、海外に対抗しようという目論みがあったことが伺えます。この小ささから、別名「雛小判」と呼ばれます。


小判の買取について

以上小判の種類を紹介してきましたが、小判によっても裏刻印が「大吉」「小吉」であれば希少性が高くなりますし、最近では「大当」も人気がありますので、買取額は通常のものよりも高くなります。

ただ、小判も贋作(偽物)が多く出回るようになりました。お持ちの方は、必ず専門家にみてもらうようにしてください。

弊社では、プロの鑑定士による無料鑑定をしております。ぜひお気軽にお問い合わせいただければと思います。


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